NOxの81%削減に成功


釣り人が見つけた環境破壊

私はいくつか趣味を持っているが、その中でも最も好きなもの、それは釣りである。
趣味といっても、バカにしたものではない。それによって、得るものは多い。
晩のおかずだけではない。親しい友人の輪も広がる。更には、自然環境についての見聞を広め、直接知識を得る事ができる。 (中略)

ちょうど、根岸湾から沖に出るところで、石炭を燃料にした火力発電所があるのに気がついた。
「石油の時代、原子力の時代に、なぜまだ石炭を燃やすのだろうか」
「石炭はどこからもってくるのだろうか」 (中略)

平成3年10月の横浜市議会決算特別委員会の環境保全局に関する局別審査で取り上げた。
質問は、『大気汚染のうちの窒素酸化物対策』を中心に、『産業廃棄物の適正処理』、『本牧のトンボ池の保全』に絞った。

窒素酸化物はNOxと表す。自動車の排気管や工場の煙突から発生するときの90%は一酸化窒素NOで、10%が二酸化窒素NO2である。
そして、この90%は空気に酸化し、すべて二酸化窒素になるが、これが窒素酸化物である。この迷惑な物質は、ときに呼吸器に悪い影響をもたらし、川崎博士の発見により、『川崎ぜんそく』と呼ばれたり、病気発生地の地名をとって『本牧ぜんそく』とも言われ、ガス発生地の近くで、特に大きな影響が出ていることでも知られる。 (中略)

工場は、いずれもNOXの規制前に建てられたもので、それらは石炭(オースロラリア産)を燃やしている電源開発の磯子発電所、その隣にある液化天然ガスを使っている東京電力横浜火力発電所、鶴見にあって液化天然ガスと石油を混合燃焼させている東京電力鶴見発電所と、日本石油根岸精油所である。
4つのうち3つは、根岸、磯子にあって、住民に迷惑をかけている。
そして、この4つの施設がなんと、1571の発生事業所、その全工場の出す総量(1万2000トン)の70%を排出しているのである。

特に、石炭の電源開発磯子火力発電所については、1施設で総排出量の3分の1にあたる年間約3、6000トンを排出していた。
発電量と燃量と窒素酸化物の関係、即ち単位電力あたり窒素酸化物の関係は、発電量1万キロワットあたり、液化天然ガスは2,1キログラム、液化天然ガスと石油との混燃は2キログラム、石炭は何と9,7キログラムになる。
石炭の電源開発の磯子火力発電所は、横浜の住民を犠牲にして、大都会の真ん中で、公害物質を大量に流していたのである。 (中略)

北側にある工場と南側にある工場
風は、冬の場合、北風もしくは北東の風が吹く。
南側の工場からは、冬は西南の風が吹く。
そうすると、臨海部の一部に、1年を通じて、多くの留りが出来てしまう。

国の基準より非常に厳しい横浜市の窒素酸化物対策指導要領に基づいて指導しているが、まだ、生活者には不十分だ。
私はこの問題を、生活者の視点から、市会で取り上げた。
平成3年決算特別委員会で質問に立った。

質問をした日の夕方、市長を囲んで、同期の議員が超党派で集まった。席上、革新系の女性議員から、「伊波さん、すごい質問だったわねー。自民党なのに怒られないの」と尋ねられた。
私は、「なぜですか、私は市民の味方なんだから何ともないよ」と応えました。
逆に言えば、実に重大な問題であると思うのに、革新系をはじめ、各議員ともこうした質問をしないのは腑に落ちない。  (中略)

それから2年、平成5年の秋に、私は当時、いっしょに発電所視察に行った環境保全局の当時の課長、今は昇進したF次長の訪問を受けた。
そして、電源開発の『磯子火力発電所リプレース計画について』というメモを受け取った。
要約すると、磯子火力発電所と横浜市が抜本的な窒素酸化物対策に乗り出し、平成5年7月にその計画が、市に提出されてきた報告であった。その内容は、平成12年に1号機、
平成17年に2号機をそれぞれ交換し、年間3、700トンも出ている窒素酸化物をたったの700トンに抑える、すなわち、81%もの大削減をするというのである。
また、この計画は、SOX(硫黄酸化物)や煤塵も縮小させることになった。

この件で、横浜市は平成5年9月27日に、市民への朗報として、記者発表した。
私の心は躍っていた。

私が市民のために問題を取り上げ、成果が実って改善が約束されたのだから。

そして、2週間後、うれしい知らせをF次長から受けた。
電源開発の磯子火力発電所に続いて、東京電力の磯子発電所、旭化成の工場も改善を約束し、日石根岸精油所は、施設は増強するが、NOX等の汚染物質は増やさないと約束したという。

私が、市会議員となった責任の一部はこれで果たしたと、私は皆さんの前でお話できるのである(中略)

この横浜の生活は、大局的に見て、平和で、便利で、快適といえるだろう。
しかし、その便利さの裏に、地球に対して加害者になってもいる自分を見る時がある。
地球は、決していま棲む、私達だけのものではない。
これからも、環境生活者の目の位置を大切にしたい。