賀詞交歓会の挨拶
新年明けましておめでとうございます。

昨年は5月に第40代市会議長に就任させていただきました。議長就任で最も嬉しかったのは、ご支援いただいている皆様に、「おかげ様で」とご挨拶ができたことでございます。
よもや、私個人の名誉などと思ってもおりませんし、重責を全うできるのも、皆様のおかげと心から
感謝申し上げます。

そして更に、昨年11月19日、20日には、天皇・皇后両陛下をお迎えし、「全国豊かな海づくり大会」が横浜で開催され、私も、両陛下と親しくお言葉を交わさせていただきました。歓迎レセプションでは、女房ともども両陛下とご歓談の栄に浴し、この上ない喜びでございました。

さて、今年は、市長選挙の年であります。4年前、私は当時の高秀市長を擁立し、選挙を戦いました。そして敗れました。
私は当時、自民党横浜市連の幹事長職にありましたが、市長選の1年後に、自民党横浜市会議団の団長を務めることになりました。自民党は、中田市長に対し、是々非々で望みました。

そうした中田市長は着実に、時に大胆に改革を進め、素晴らしい成果をあげていきました。この成果は、全国の地方自治体に誇れるものであり、手本となるものであります。
しかしながら、すべてが満点というわけでは決してありません。そういった部分は成果に比べれば、
些細なことかもしれませんが、これからはもっと落ち着いて、骨太な改革が望まれるところであります。

政治には、その時々に課題が表れてきます。ベイブリッジ下の国道357号線の開通は2年前の4月でした。私にとって、大きな自信につながりました。
今、最も重要な政治課題は何かといえば、財政再建と言えましょう。しかしながら、財政再建だからといって、何も事業をしなくていいという訳にはいきません。

横浜市の大正元年の人口は、約45万人でした。そして、横浜の市電が民営から市営になったのは、大正10年ですが、その前年の人口は、約42万人でした。市電が廃止されたのは、昭和47年ですが、その年の人口は、約240万人です。

なぜ市電の話をするかと申しますと、今日の横浜市の幹線道路のほとんどは、昔、市電が走っていたところであり、大正時代に作られた道路が、現在でも幹線道路として使用されているのです。市庁舎前の道路もそうですが、こうした社会資本が、人口が少ない時代に作られたことを思うと、人口358万人の今となっては、息が詰まるのも当たり前です。


私は常々、偉大な先人たちが築き上げてこられた良質な社会資本をしっかりと受け止め、さらに発展させるために懸命に努力をし、そして次の世代に引き継いでゆくことが、現代の我々に課された使命であると思っております。そのために、皆様とご一緒に力をあわせてまいりたいと存じます。

多くの方のご意見に、謙虚に耳を傾け、その中から最大公約数を導き出し、市民の皆様のご理解・ご協力のもとで、政治を進めていくことが、最も大切なことであると思っております。
 
結ぶになりますが、皆様のご健勝をお祈り申し上げまして、私の感謝の言葉といたします。